第42回 <坂戸市東部歴史ツーリング>
越辺川によって形成された低地と台地の二面性を持つこの土地は、東山道、鎌倉街道などの古くからの軍事道路が通う重要な土地です。
◎日 時:12月3日(日)午前10時
◎集 合:東松山駅西口
◎会 費:2,500円+昼食
見学場所
大智寺(黒川氏累代の墓)
JAいるま野坂戸農産物直売所(お土産)
青蓮寺(正代氏関連のお寺)
島田橋(時代劇撮影に使われる冠水橋)
赤尾成就院(侠客赤尾林蔵墓所)
勝呂神社(武蔵武士勝呂氏関連の神社)
大宮住吉神社(北武蔵十二郡の総社・神楽が有名)
聖天宮(大陸文化の強い道教のお寺)
大宮住吉神社は古くは勝呂郷の総鎮守で「勝呂大宮」と称したと伝える。
祭神は表筒男命・中筒男命・底筒男命の三神で、村上天皇御宇の天徳三年〔959〕二月二十三日、長門国山田邑(山口県豊浦郡勝山村)よりこの地に移したという。
その後、永享元年〔1429〕九月十五日、関東公方足利持氏が再興したとき、和歌三神が祭祀されたと『新編武蔵風土記稿』にある。表筒男命・中筒男命・底筒男命の三神は、神功皇后三韓征伐の際、荒魂(あらみたま)は先鋒となって船を導き三韓を服属し、皇后凱旋の途次、荒魂を穴戸(長門)の山田邑に鎮祭した。これが長門の住吉神社である。
和魂(にぎみたま)は別に大津の渟名倉(ぬなくら)の長峡(ながさ)、すなわち大阪市鎮座の住吉大社に祭祀した。 大宮住吉神社の本殿には、中央に住吉明神、右に和歌三神、左に東照宮が鎮座する。
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